インド光 第三弾 光いまだインドならず

マレーシアは主にマレー人と中国系、インド系の3つの人種によって構成されているように感じた。3種類の全く肌色や顔かたちの違う人々が一緒に働く様子は初めて見た光景で面白かったが、そこにはカオス感は存在せずに調和がなされ昔から共に生活を送ってきたのだと思わせた。華僑・印僑やマレー連合州の特産物など軽くだが高校の世界史の授業で学んだことを実際に自分の目で見て感じることが出来るからこそ日本をでる楽しみがあると思う。マレーシア人はみんなびっくりするくらい優しい。道を聞けばわかりやすいところまでわざわざ連れていってくれ、笑顔で「いい旅を!」とみんな言ってくれるのだ。なんど道に迷い、そのたびにマレーの男たちと固い握手を交わしたことだろうか。一日にも満たない滞在でマレーシアが好きになっていた。マレーシア人の優しさも驚くが、自分の方向感覚のなさにもびっくりした。方向感覚は貧しいほうだとは自覚していたが土地勘のない土地ではまさにその鈍さに磨きがかかっていたのだ。しかし、変に小心者のくせに冒険心などというものがくすぶられ、自由に気になった道などを選んで歩いていると、気付くとなんと自分は高架の高速道路的な道を歩いているではないか。だんだん歩いている歩道が細くなってきているなとは気付いていたが、この昂った私の冒険心には逆に魅力的だったのである。だんだん細くなっていく道。誰も通ろうとはしない道。その先にはもう冒険のにおいしかしない。自分の冒険心のテンションは今まさにマックスである。高架下(実際は低架ぐらい)をのぞきこんでみるとトラックがとまっているではないか。これはトッラクの屋根に飛び降りるしかない!あたかもレッド・ブロンクス時代のジャッキー・チェンさながらのアクションだったと思う。バックパックを背負った日本版ジャッキーは手首をしならせ「コォーー」とでもすごみながらカンフーポーズをとりたい気持ちだった(心の中の妄想では完璧に渋くきまっていたが)。
こうして光1回目の迷子。
インドでの迷子に比べたら、マレーシアの迷子なんて子供のようなものだ。と、迷子中にも関わらず気分はまだ冒険家のまま様々なものに首を突っ込んでいた。金魚のフライなるものを食べ、相変わらず中国の何でもたべますよ~精神には驚かされる。逆に中国人は何をペットにしているのだろうか。気になるところである。後に知ったことだが、中国人が犬を食べるという話は日本限らず知られているようだ。インドでは日本人も犬を食べるという話になっていたが、そこは確実に誤解を解いておいた。しかし、豚を食べるということには物凄い嫌悪を感じるようで、それはイスラム教徒に限らずヒンデュー教も同様らしい。ヒンデューでは豚に関しての記述はなかったと記憶しているが、そこはインド、ヒンデューとイスラムが共存している国だからこそ混ざり合ってきたのかもしれない。豚は地面に這いつくばって何でも食べるから汚いのだという。そんなこと言うと、インドの神聖な牛様こそ道端のごみ山からごみを食べているじゃないか。しかし彼らにはそんなことは知らんという顔をするのである。やはり宗教には現実世界における真理などというものは存在せず、集団をある一定の方向へ導くという、宗教と国家・農作業というのは相互に作用しながら発展をしてきたという説に当てはまるのではと思える。そこでは本当に豚が汚い存在かなどどうでもいいのだ。豚を汚い存在として扱うという枠組みで人々を囲いたかったというだけなのではないかと思う。などと考えていても、目の前のこのインド人たちは日本人が豚を食べることをいかにも怪訝そうな顔をしたり、「お前がピッグだな!」なんてふざけまくっているのである。くやしいではないか、我々の愛する豚ちゃんが、豚丼だっておいしいし豚キムチなんて最高であるのに。時には愛で、時には食し、僕らを育ててくれた豚ちゃんをバカにされるなんて。そこで反撃にでることにしたのである。「日本の豚わなーきれいなんだぞ。毎日コーン食べているから豚肉はコーンクリームスープの味がするんだからな!」よりいっそう彼らの嫌悪感はましたようだった。
そんなこんなしてるとクアラルンプール発インド行の飛行機まであと1時間と20分を残すところとなった。このとき自分は異常に汗だくになりながら椅子に「どっ」と座りふーなんて言っていたのである。もちろん気温が暑いからなどではない。クアラルンプール空港国際線のロビーを超どたばたと全力疾走してきたところなのである。これは10分前のはなしである。自分はクアラルンプール空港メトロに乗りながら、異常な動悸と異常な振れ幅と速度でピストン運動を起こす右足を抑えよう四苦八苦していた。携帯の時計が示すに搭乗手続きの締め切りは過ぎ、搭乗時間まで残り30分となっていたのだ。「お前は自分のピストン運動でメトロを動かしたいのか?」とついつい誰かに突っ込んで欲しいレベルだった(ほんとに突っ込んだらどつくと思うが)。マレーシアが楽しすぎてついつい迷子になりたがったのがよくなかったのだろうか。それが原因かどうかは定かではないが、とにかく時間がないのだ。出国検査も荷物チェックも、兄ちゃん達に頼み込んで自分の必死さといか悲壮感さえ漂う訴えが伝わったのだろうか、優先カウンターなる物に通してくれたのである。人間必死になれば驚くほど英語がペラペラとはいかないがボロボロと出てくるものである。そこから走りに走って走りまくり、ゆ~くりす~となんて走っている空港内の車なんか一瞬で走りぬき、ロビーのみんなが謎に全力疾走する若い日本人が走りさるのを追う視線を背中で感じながら、「あれ?これなんか見たことあるぞ。オリンピックみたい!」なんてちょっと気持ち良かったりしちゃったりしながらさらにはしりました。しかし、現実は時計の時差を修正していなかったというただのうっかりミス。待合室もまだらな席に「ふー」なんて言いながら座ったのが今の話。どっとつかれ、アイス・コーラなんて飲みたいななんて考えているクアラルンプール今この頃