インドNO4 滞在3週間にして初日の話かいてるよ?

まあそんなこんなで気付いたらデリーに到着。到着は深夜11時を過ぎていたこともあり空港泊にすることに。寝心地のよさそうなベンチを探しロビーをぶらぶらと、しかし大概寝心地のよさそうなベンチにはインド男性の若者が「お前らゲイか!」と突っ込みたくなるレベルで仲良さそうに添い寝しあったり、インドの美の象徴であるサリーからでーん!とそれは隠したほうがいいんちゃうか?というおなかをいだいたおばさんが寝ており、そのよこにあごひげをたくわえたおじさんがナイトのようにたたずんでいるのである。そこには、あーこれが愛なんだな、なんて感じさせてしまう何かがあったのかもしれない。愛こそゆえにその年齢違いの妊娠をゆるせ、いとしみ、うつくしむことができるのかもしれない。自分は仕方なくロビーの床で寝ることにした。目が覚めると8時間も睡眠をしっかりとっており、わぉ、なんて健康的。自宅のベットで寝ている時よりも深い睡眠がとれているではないか。今回の俺はないか違う悪寒がする。それもそのはず気付けばまたパスポートがないのである。外貨交換所に置き忘れただけですぐ見つかったからよかったが、今回は一人旅だということもあり前回のように他人の心配ばかりしないぶん自分の気まで緩んでいるようだ。気を付けなければ。本当に自分のこととなると危機管理能力がいっきに衰え、冒険心とでもいう遊び心が顔をだし、そのまま暴走しがちなのである。他人に優しく、自分にはもっと優しくが自分のモットーなのである。

インド光 第三弾 光いまだインドならず

マレーシアは主にマレー人と中国系、インド系の3つの人種によって構成されているように感じた。3種類の全く肌色や顔かたちの違う人々が一緒に働く様子は初めて見た光景で面白かったが、そこにはカオス感は存在せずに調和がなされ昔から共に生活を送ってきたのだと思わせた。華僑・印僑やマレー連合州の特産物など軽くだが高校の世界史の授業で学んだことを実際に自分の目で見て感じることが出来るからこそ日本をでる楽しみがあると思う。マレーシア人はみんなびっくりするくらい優しい。道を聞けばわかりやすいところまでわざわざ連れていってくれ、笑顔で「いい旅を!」とみんな言ってくれるのだ。なんど道に迷い、そのたびにマレーの男たちと固い握手を交わしたことだろうか。一日にも満たない滞在でマレーシアが好きになっていた。マレーシア人の優しさも驚くが、自分の方向感覚のなさにもびっくりした。方向感覚は貧しいほうだとは自覚していたが土地勘のない土地ではまさにその鈍さに磨きがかかっていたのだ。しかし、変に小心者のくせに冒険心などというものがくすぶられ、自由に気になった道などを選んで歩いていると、気付くとなんと自分は高架の高速道路的な道を歩いているではないか。だんだん歩いている歩道が細くなってきているなとは気付いていたが、この昂った私の冒険心には逆に魅力的だったのである。だんだん細くなっていく道。誰も通ろうとはしない道。その先にはもう冒険のにおいしかしない。自分の冒険心のテンションは今まさにマックスである。高架下(実際は低架ぐらい)をのぞきこんでみるとトラックがとまっているではないか。これはトッラクの屋根に飛び降りるしかない!あたかもレッド・ブロンクス時代のジャッキー・チェンさながらのアクションだったと思う。バックパックを背負った日本版ジャッキーは手首をしならせ「コォーー」とでもすごみながらカンフーポーズをとりたい気持ちだった(心の中の妄想では完璧に渋くきまっていたが)。
こうして光1回目の迷子。
インドでの迷子に比べたら、マレーシアの迷子なんて子供のようなものだ。と、迷子中にも関わらず気分はまだ冒険家のまま様々なものに首を突っ込んでいた。金魚のフライなるものを食べ、相変わらず中国の何でもたべますよ~精神には驚かされる。逆に中国人は何をペットにしているのだろうか。気になるところである。後に知ったことだが、中国人が犬を食べるという話は日本限らず知られているようだ。インドでは日本人も犬を食べるという話になっていたが、そこは確実に誤解を解いておいた。しかし、豚を食べるということには物凄い嫌悪を感じるようで、それはイスラム教徒に限らずヒンデュー教も同様らしい。ヒンデューでは豚に関しての記述はなかったと記憶しているが、そこはインド、ヒンデューとイスラムが共存している国だからこそ混ざり合ってきたのかもしれない。豚は地面に這いつくばって何でも食べるから汚いのだという。そんなこと言うと、インドの神聖な牛様こそ道端のごみ山からごみを食べているじゃないか。しかし彼らにはそんなことは知らんという顔をするのである。やはり宗教には現実世界における真理などというものは存在せず、集団をある一定の方向へ導くという、宗教と国家・農作業というのは相互に作用しながら発展をしてきたという説に当てはまるのではと思える。そこでは本当に豚が汚い存在かなどどうでもいいのだ。豚を汚い存在として扱うという枠組みで人々を囲いたかったというだけなのではないかと思う。などと考えていても、目の前のこのインド人たちは日本人が豚を食べることをいかにも怪訝そうな顔をしたり、「お前がピッグだな!」なんてふざけまくっているのである。くやしいではないか、我々の愛する豚ちゃんが、豚丼だっておいしいし豚キムチなんて最高であるのに。時には愛で、時には食し、僕らを育ててくれた豚ちゃんをバカにされるなんて。そこで反撃にでることにしたのである。「日本の豚わなーきれいなんだぞ。毎日コーン食べているから豚肉はコーンクリームスープの味がするんだからな!」よりいっそう彼らの嫌悪感はましたようだった。
そんなこんなしてるとクアラルンプール発インド行の飛行機まであと1時間と20分を残すところとなった。このとき自分は異常に汗だくになりながら椅子に「どっ」と座りふーなんて言っていたのである。もちろん気温が暑いからなどではない。クアラルンプール空港国際線のロビーを超どたばたと全力疾走してきたところなのである。これは10分前のはなしである。自分はクアラルンプール空港メトロに乗りながら、異常な動悸と異常な振れ幅と速度でピストン運動を起こす右足を抑えよう四苦八苦していた。携帯の時計が示すに搭乗手続きの締め切りは過ぎ、搭乗時間まで残り30分となっていたのだ。「お前は自分のピストン運動でメトロを動かしたいのか?」とついつい誰かに突っ込んで欲しいレベルだった(ほんとに突っ込んだらどつくと思うが)。マレーシアが楽しすぎてついつい迷子になりたがったのがよくなかったのだろうか。それが原因かどうかは定かではないが、とにかく時間がないのだ。出国検査も荷物チェックも、兄ちゃん達に頼み込んで自分の必死さといか悲壮感さえ漂う訴えが伝わったのだろうか、優先カウンターなる物に通してくれたのである。人間必死になれば驚くほど英語がペラペラとはいかないがボロボロと出てくるものである。そこから走りに走って走りまくり、ゆ~くりす~となんて走っている空港内の車なんか一瞬で走りぬき、ロビーのみんなが謎に全力疾走する若い日本人が走りさるのを追う視線を背中で感じながら、「あれ?これなんか見たことあるぞ。オリンピックみたい!」なんてちょっと気持ち良かったりしちゃったりしながらさらにはしりました。しかし、現実は時計の時差を修正していなかったというただのうっかりミス。待合室もまだらな席に「ふー」なんて言いながら座ったのが今の話。どっとつかれ、アイス・コーラなんて飲みたいななんて考えているクアラルンプール今この頃

光インド第二弾 光いまだ旅立たず

三度目のインドということもあり航空券やビザの申請から鉄道などの感覚もあり滞ることもなく準備が進んでいました。しかし、あらかたの旅の準備ができたところで今回の旅のテーマを何にするのかに悩んでしまい荷物のパッキングを出発前日まで伸ばしていると、出発前夜まさかのパスポート紛失が明るみに出てしまったのです。あーなんて自分はバカなんだ。旅のテーマを悩んでいる場合じゃなかった。「信念も目的もないガンジースタイル」か「禁酒?禁煙?分煙なんてくそくらえ!理性を失ったヒッピースタイル」なんてどっちでもよかったのに。旅のテーマを妄想して楽しんでいるよりも、足元に旅に出られないという危険があったのに。これはまじでやばい!
と思ったら、リビングのベット下に「え?ずっといたけど。なにひとり焦ってんの?」とでも言いたげなパスポートを見つけ、インドに出発。
二つの旅のテーマは本当の本当にしょうもないので、帰国したら個人的に聞きに来てほしい。しょうもなさは保障するが、同時に最高の飲みにすることも保障しよう。ということでインドに出発。
ここまでに3回インドに出発したと話したが、実はまだ乗り換えの為に立ち寄ったマレーシアのクアラルンプールで34度を超える猛暑の中ホット・コーヒーを出されアイス・コーヒーが欲しいと要求すれば、アイス・コーラを出され自分の発音の問題なのかと少し戸惑いと落ち込みを感じながらアイス・コーラを飲んでいる最中なのである。
クアラルンプールに着陸した時の自分のテンションは最悪である。まさに憂鬱という言葉がぴったりである。望んで一人旅を選んだくせに一人であることにさみしさを感じているのである。思えば長期間の一人旅は初めてなのである。1回目のインド滞在はNICE経由で「インド ポンディチェリの北一キロの森」という何とも曖昧な場所(本当によくたどりつけたと思うが)で植林をしていた時は、何十か国という国から来た心優しきベジタリアン達と共同生活をしていたし、2回目のインド滞在においては二人旅だったこともありこの世界には日本人は俺達しかいないのではと勘違いしそうなほどだった。1人アイス・コーラをすすりながら、一緒にインドに行ってみたいと言っていたひなのを無理やり連れてくればよかったとか、コナキタバルに埋もれているTOMOKAを呼び出せればと願ってみるが、そうおもうたびに余計さみしさがこみ上げる。
空港でうじうじしていても仕方ないと決意し、クアラルンプールの中心街に出てみようと考え中心街行きの特急のチケットを買うと、片道1500円もするではないか。インドのホテル代3日分はするぞ。と追い打ちをかけてさらに気分は萎えまくっていた。
この旅始まっていらい最大の萎えを味わっていると(旅初日ではあるが) 台湾出身だという2組の女の子が近づいてきて超早口の中国語で話しかけてくるではないか。興奮しすぎて英語で話してくれと伝えているのを完全無視するほどだ。よくよく話を聞いてみると、自分が中国のアイドルにそっくりで間違えたのだそうだ。「お?」となる。これからどこの国を旅するの?とかどのくらい旅行するの?なんて基本的な会話を交わしたのち彼女らは去り際に「あなた本当にハンサムね!」と言い残していった。あ~一人旅ってなんて最高なのだろう。
マレーシアの空までが雲一つなく晴れて見えるのはきっと自分のおかげだと思う。足取りも軽くクアラルンプールの散策を開始した。

光ふたたびインドに発つ

ヒカル 再びインド発つ

インドにまた行きます。3回目です。4回しか日本から出たことがないに、その4分の3がインドです。自分でも思うけれどまたインドかと思う、「インドってそんなに面白いの?」ていう質問をされると、軽く興奮して、「きたーー!」って相手が本気で関心があるのかなんて関係なく自分の中に存在するインド愛を喋りまくり少なからず周りにひかれている、それに気付けるだけまだ安心だとおもうけれど、具体的にインドのどこがいいのかと言葉にして伝えようとすると「カオス感が癖になる。」の一言に集約されるような気がする。人・宗教・食文化すべてがカオスの一言に尽きると思う。逆にインドの嫌いのことを挙げてみてといわれればすぐさま3時間ノンストップで話せることはかたい。ちょっと前回までのインド旅行を思い出すだけでイライラとしてきてしまう。黒い肌にはにかみのぞかせているチャーミングな真っ白な歯を見るだけでもむかむかしてくるし、街を歩いていると「こんにちわ~」とか「ありがと~」とか知っている日本語で執拗に話しかけてくる兄ちゃんたちがみんなにやにやした仮面をつけ、心のなかでもにやにやしっぱなしの詐欺師に見えていたりもする。
「インドなんて2度と来るか!」って思って何度も戻ってきてしまうよくある典型的インド好きの典型中の典型がこの自分なのである。
日本にいる自分はインドのかすかな香りでも触れたいといたるところをクンクンさせながらさ迷い歩いている。インド経験者に出会えると興奮するのは勿論だが、行きたい国にインドを挙げちゃうような人とは親友になれそうな気が一瞬でしてくる。「変な奴で自分とは価値観の合わない苦手なタイプだな~」と思っていたのにインドに行きたいと自分の話に興味を持ってくれた瞬間大好きになってしまい「変わっていて、自分とは違う価値観を持っていて興味をもてて、仲良くなりたいタイプだな~」と瞬時に脳内変換されている。それが女の子だった日になんてそりゃ~もう興奮もので。好きなタイプなどんな人?って聞かれると本気で「インドに行きたいって思うような女の子」とこりゃまた本気で答えている。いつもそんなの望んでる答えじゃねーよみたいな顔をされるが、「優しい人がいい♡」とか「頑張っている人いい♡」とか言ってる奴よりより具体的で、優しいみたいな曖昧なものではなく分かりやすくていいじゃねーか!と逆に俺が不満だと思っている。インドに興味があるということイコール自分と価値観があうということだと考えているのである。
大学の宗教音楽の講義でインド・ネパールにおけるヒンディーやイスラムの宗教音楽と芸術観にテーマが設定されると、生まれて初めてなんじゃないかってレベルで教室の最前列の真正面の先生のあごのラインについつい目が行ってしまい「先生最近外食多いのかな~」とか余計な心配したり、「二重アゴの青ひげほど汚いものはないな、」と勝手に定義づけして一人納得して謎に満足な気持ちになってしまうような席についてかぶりついて授業を受けている。
まあ、そんなこんなでインドに再び旅にでかけることになりました。